沼木まちづくり協議会

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事務局だより2月号

2023年02月06日(Mon)

【実施報告】沼木学びウォーク『米山用水のルートをたどる』

実施日時:2022年12月11日(日)8:30~12:00、参加者:36名

1 米山用水は、横輪町の横輪川の米山用水頭首工(とうしゅこう、河川から用水の取り入れ口、おせん淵の少し下流)から上野町を通って、円座町まで続いています。全長約7.6kmあります。全ルートを歩くと、大人でも3時間以上かかります。また、危険と思われる所もいくつかあります。そのために、当日は歩いて見る所と車で移動する部分を組み合わせて、米山用水のルートをたどりました。

みどり保育園バスをこどもたちの移動で使うことができました。保育園の職員の方々、ありがとうございました。円座邨墾田碑の前で米山用水について、米山公美さんの説明を聴きました。米山さん、ありがとうございました。当日は上野小学校の校長先生や教員の方々も参加していただきました。

2 参加者の感想

  • 学校で米山新田について学んだけれど、学校の教材に書いてないことをくわしく学べてよかったです。もっと米山新田について知りたいと思いました。(小学生)

  • 普段、何気なく眺めていた米山用水にたくさんの歴史や多くの人々の思いが込められていることを再確認しました。今も多くの人を支えている米山用水への感謝を忘れないようにします。(高校生)

  • 学校で米山新田について学んだことがあるので、実際に米山用水について知ることができたので良かったです。もっと色々なことを勉強したいと思いました!(小学生)

  • 米山用水をたどるウォークに参加して、当時の人々の工事の凄さに驚くとともに、米山さんから直接に貴重なお話を聴くことができて、大変すばらしいウォークでした。

  • 円座町に住んで初めて円座用水(通称:ゆみぞ)を歩きました。また、その日は円座のゆみぞの出合があり、みんなの力で4月には円座の田に水を張ることができるのだと感動しました。

3 【米山用水と米山新田の説明】昔、沼木村円座は少し高台にあるため、宮川が村のすぐとなりに流れているにもかかわらず、水利が悪く、ほとんど荒れ地になっていて、苦しい生活をしていました。江戸時代の1689年に、紀州藩円座組の大庄屋(おおじょうや)であった米山家4代の米山宗隆(むねたか)さんを中心に、村の人々と新田をひらき、約5.5㎞の水路の工事を始め、1696年に工事は完成しました。

130年以上経って、用水路は土手がくずれ、土砂がたまり、雑草がしげって使えなくなっていました。9代の米山宗持(むねもち)さんは前の美しい水田にしたいと考え、1829年に工事を開始しました。横輪川より約7.6kmの水路を開く計画でした。横輪川の上流に井堰(いせき、せきともいう)を作り、横輪川の水を分けて流す工事でした。1831年に、7.6㎞におよぶ長い水路がほぼできあがりました。

1831年の7月に大雨が降り洪水によって、水路のほとんどは使えなくなりました。しかし、宗持さんはあきらめませんでした。1832年にもう一度、工事を再開し、米山用水はやっと完成しました。宗持さんはこの工事に私財1389両を投じただけでなく、円座村は新田を担保に1000両の大きな借金を背負い込みました。この後、大凶作にあい、米の収穫が減って、借りたお金が返せなくなりました。宗持さんは借金の責任を取って、1839年1月23日にみずから切腹して命を絶ちました。宗持さんはこの時、53歳でした。その後、1876年(明治9年、11代の宗寿(むねとし)さんの時)に1000両の借金を返すことができました。(作成:沼木こども自立塾委員会、事務局:TEL:0596-39-7240)

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